トルコ石(ターコイズ)の歴史。シルバーアクセサリーのニズム!

トルコ石の歴史

トルコ石の歴史を知る

初期、トルコ石の薄青の色合いは多くの文明に愛された。
トルコ石は、古代エジプト、アステカ、ペルシア、メソポタミア、インダス渓谷 、そして少なくとも殷王朝以来の古代中国の統治者を飾った。
他のシルクロードの産品と共にヨーロッパへ(トルコを経由して)導入された、古い宝石のうちの一つであるにもかかわらず、トルコ石は西洋では14世紀まで宝飾品として重要にならなかった。
それは、カトリック教会の影響力が低下し、教会以外での宝飾品にトルコ石を使うことを認めるのを待たねばならなかったからである。
インドにおいては、明らかにムガル帝国時代までは知られておらず、日本においては18世紀まで知られていなかった。これらの文明の多くは皆、トルコ石がある種のお守りのような特質を有すると信じていた。つまり、着用者の健康状態によって色が変化し、悪い運の力から着用者を守ると考えられていた。
アステカ人は仮面(一部は本物の人間の頭蓋骨をベースに用いた)、ナイフおよび楯のような、人を刺激するための(そしておそらく儀礼用の)モザイク装飾へ、金、水晶、クジャク石、黒玉、硬玉、珊瑚および貝殻と共に、トルコ石を象眼した。装飾の基礎材料へトルコ石を接合するためには、天然樹脂、れき青、及びろうを用いた。基礎材料は通常は木だったが、骨と貝殻も用いられた。
アステカ人と同様に、プエブロ、ナバホおよびアパッチの種族は、トルコ石をお守りとして重用した。アパッチは、トルコ石を身に付けると射撃の正確さが上がると信じた。
これらの民族の間では、トルコ石は彫刻品の中で、モザイク象眼として使用された。
また、ドーナツ型のビーズや自由形のペンダントが作られた。
グランチャコの昔のプエブロ族(アナサジ族)および周囲の地域は、トルコ石製品の生産および取引で非常に繁栄したと考えられている。今日、ナバホおよび他の南西アメリカインディアンの種族によって生産される特産の銀の宝飾品は、むしろ現代になってから開発されたものである(ヨーロッパの影響の結果およそ1880年頃以降)。

ペルシアでは、トルコ石が一千年の間事実上の国家の宝石だった。オブジェクト(ターバンから馬具まで)、モスク、およびイスファハンのメドレシ・シャー・フセイン・モスクのような他の重要な建物の内外を徹底的に飾るために、広範囲に使用された。
ペルシア式のトルコ石およびその使用は、ムガル帝国の設立の後、インドへ伝わった。高いカラットの金の宝飾品(ルビーやダイヤモンドと共に)およびタージ・マハルのような建物でその影響が見られる。ペルシアのトルコ石は、しばしばアラビア文字で祈祷文が彫られ、その後、金で象眼された。
輸入トルコ石のカボションは、珊瑚と共に、チベットおよびモンゴル(ここでは緑の色調がより好まれると言われている)の銀や金の宝飾品の中で広範囲に使用され、現在でもそうである。
エジプトでのトルコ石の使用は、第1王朝まで遡る。
さらに、トルコ石は指輪、及び胸飾り(pectorals)と呼ばれる大きな曲線を描くネックレスを飾った。その宝石は金の中にセットされ、ビーズに加工されたり、象眼として使用されたり、しばしば赤メノウやラピスラズリを伴って、コガネムシ(スカラベ)のモチーフの形に刻まれた。 コガネムシの彫刻の場合は有色のガラスが伴うこともあった。

13世紀、十字軍によって西欧社会にもたらされたトルコ石は、落下、特に落馬事故から身を守る護符として男性に人気を博した。皇帝ルドルフ2世のお抱え医師であった17世紀の医学者アンセルムス・デ・ブートは父から贈られたトルコ石に落馬事故から命を救われたと書き残している。
19世紀中頃、そして20世紀始めに、フランス人によるツタンカーメンの墓を含むエジプトの遺跡の考古学的調査は、西洋世界の大衆の関心を大いに集め、そのために、当時の宝石、建築、および芸術に影響を与えた。トルコ石は、1810年頃以来そのパステル色の色合いのために既に愛されていたが、このときエジプト復興芸術の主要をなした。
同時代の西洋では、トルコ石は、しばしばアメリカインディアンのスタイルの、銀の指輪や腕輪にカボションカットで用いられるか、もしくは磨かれるか荒く削られネックレス中の大玉のビーズとして用いられることが最も多かった。小さめの素材は、ズニ族によって作られたもののような、物神の形に刻まれることもあった。強い空色のものが高い価値を持つ一方、緑と黄色のまだらの素材は職人に人気がある。また、西洋の文化ではトルコ石は12月の誕生石である。
トルコ石はユダヤ教とキリスト教に共通する聖典の中で重要性を持っているかもしれない。出エジプト記(28:15-30)では、「裁きの胸甲」の構造が、アーロンの僧服の一部として記されている。
エフォド(法衣)に付けられた胸甲は金にセットされ四列に並べられた12の宝玉で飾られた。
それぞれの宝玉にイスラエルの12の種族のうちの1つの名前が彫られた。
第3の列の中の4個の石のうち、1番目および第2のものは、様々な学者によってトルコ石と翻訳された。しかしながら、他の学者はそれぞれヒヤシンス石(ジルコン)と瑪瑙と翻訳して、見解が一致していない[2]。また各石がどの種族を意味しているかに関しても見解が一致していない。

参照: 「トルコ石」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)